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表面的な面白さと内面的な面白さ、つねづねこの2つ、
面白さにはこの2つが 大分類として分ける事が出来るのでは無いかと思う。
表面的とは、あっけらかんに、「ギャハハハハ」と何も考えずに大笑い出来る事を指し、
内面的とは「クスリ」と笑う様な人の知識を刺激する様な笑いを指す。
これは好みが分かれる。
きっと全員どちらも好きなはずだから、シュール、シニシズム好きな人でも
たまには何も考えずに大笑いしたいはずだし、
普段ケラケラと屈託の無い笑みを浮かべる人でも
落語の言葉遊びの様な上手い笑いに飢える時だってあるはずだから。
周りが笑っているとなんか面白い状況なんじゃないかと錯覚してしまう時、
自分としては別に それ程引っかからないんだけど、
周りが笑っているから「これはきっと面白い状況なんだ」と頭が解釈する。
ドリフの大爆笑の笑いBGMみたいな、
おばちゃんの笑い声がカットインの様に、「今ここ笑うところですよ」と教えてくれる様に、
ああやって強制的に笑わせられる時は好みではない。
表面的な面白さと内面的な面白さ、つねづねこの2つ、 面白さにはこの2つが 大分類として分ける事が出来るのでは無いかと思う。 表面的とは、あっけらかんに、「ギャハハハハ」と何も考えずに大笑い出来る事を指し、 内面的とは「クスリ」と笑う様な人の知識を刺激する様な笑いを指す。
これは好みが分かれる。
きっと全員どちらも好きなはずだから、シュール、シニシズム好きな人でも たまには何も考えずに大笑いしたいはずだし、 普段ケラケラと屈託の無い笑みを浮かべる人でも 落語の言葉遊びの様な上手い笑いに飢える時だってあるはずだから。
周りが笑っているとなんか面白い状況なんじゃないかと錯覚してしまう時、 自分としては別に それ程引っかからないんだけど、 周りが笑っているから「これはきっと面白い状況なんだ」と頭が解釈する。 ドリフの大爆笑の笑いBGMみたいな、 おばちゃんの笑い声がカットインの様に、「今ここ笑うところですよ」と教えてくれる様に、 ああやって強制的に笑わせられる時は好みではない。
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ドリフは好きなのに、あれはどうも好きになれなかった。
雷様の時に「笑いBGM」が無く、
クスリと笑えるBGMがあったら好きになったかもしれません。
ギャグとジョークでこれだけ笑いの幅がある。
その人が面白いか面白くないかは人間の持つ深みにも似ている、
というよりかは、きっとそのまま、
その人の持つ歴史、経験がその人の面白みとして刻まれているのだろう。
新しい事を無理やり笑いに昇華させるというより、
その人の思いの「深さ」が面白みに直結していくと考える。
だから色々と経験したり、考える事が無い人は面白みはまったく無いと思う。
人生に不干渉、不感症な人は根底から笑顔を否定している気がする。
または、これから経験してその人の「色」が増えていく様に、
「こいつ面白いなぁ」と思わせられる深み、人情味が増してくるのかもしれない。ドリフは好きなのに、あれはどうも好きになれなかった。 雷様の時に「笑いBGM」が無く、 クスリと笑えるBGMがあったら好きになったかもしれません。 ギャグとジョークでこれだけ笑いの幅がある。
その人が面白いか面白くないかは人間の持つ深みにも似ている、 というよりかは、きっとそのまま、 その人の持つ歴史、経験がその人の面白みとして刻まれているのだろう。 新しい事を無理やり笑いに昇華させるというより、 その人の思いの「深さ」が面白みに直結していくと考える。
だから色々と経験したり、考える事が無い人は面白みはまったく無いと思う。 人生に不干渉、不感症な人は根底から笑顔を否定している気がする。
または、これから経験してその人の「色」が増えていく様に、 「こいつ面白いなぁ」と思わせられる深み、人情味が増してくるのかもしれない。
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他人のギャグをやってもそれなりにしか面白くないのは本人に染み付いてないからだ。
パンに具をただ乗っけただけのシンプルとは名ばかりの味気なさと似ている。
殊更なおもてなし文化の 「JAPAN」だと世界から思われているのだから、
人を楽しませること、常に心にユーモアを持ちたいものである。
Writer : Kadpon他人のギャグをやってもそれなりにしか面白くないのは本人に染み付いてないからだ。 パンに具をただ乗っけただけのシンプルとは名ばかりの味気なさと似ている。
殊更なおもてなし文化の 「JAPAN」だと世界から思われているのだから、 人を楽しませること、常に心にユーモアを持ちたいものである。
Writer : Kadpon