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子犬や子猫の様に愛くるしい見た目であれば
もしや好きになるのかしらと思い、苦手な食べ物を眺める。
魚や具材を小刻みに切り刻んだちらし寿司は一見キレイに見える。
嫌いなものでも見た目が美味しそうだと感じただけで、
なんとなく食べた様な気になれるのは、
好きになる便利な都合の回路を働かせているのだろうか。
好き嫌いの慣用具合もまた、
時間を経てからの距離感を埋めるカップルと同じであるように
嫌いなものにも寛容になることが、ようは大事だなと。
食べられない食材を見ながら、
そうしているうちに食材も寛容な目線を返しているのかもしれない。子犬や子猫の様に愛くるしい見た目であれば もしや好きになるのかしらと思い、苦手な食べ物を眺める。
魚や具材を小刻みに切り刻んだちらし寿司は一見キレイに見える。 嫌いなものでも見た目が美味しそうだと感じただけで、 なんとなく食べた様な気になれるのは、 好きになる便利な都合の回路を働かせているのだろうか。
好き嫌いの慣用具合もまた、 時間を経てからの距離感を埋めるカップルと同じであるように 嫌いなものにも寛容になることが、ようは大事だなと。 食べられない食材を見ながら、 そうしているうちに食材も寛容な目線を返しているのかもしれない。
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画して食べたいものを見繕うときに食材を眺めることは、
雰囲気にあわせて発する言葉にどこか似た感覚だと思う。
頭の中ではざっくばらんな言葉が「食材」となり、
口から出る時には、まとまった会話の「料理」になって出てくるように。
論理的に考えたりする人は、きっと
言葉に激辛なスパイスを掛けるのだろうか。
感覚的に考えたりする人は、
多分ハチミツやバターをつけるのだろう、
などと勝手に妄想を始め、
他人に食べてもらうならきっと
「美味そうに見える」マジックを演出するはずだ、
と想像を膨らます。画して食べたいものを見繕うときに食材を眺めることは、 雰囲気にあわせて発する言葉にどこか似た感覚だと思う。 頭の中ではざっくばらんな言葉が「食材」となり、 口から出る時には、まとまった会話の「料理」になって出てくるように。
論理的に考えたりする人は、きっと言葉に激辛なスパイスを掛けるのだろうか。 感覚的に考えたりする人は、多分ハチミツやバターをつけるのだろう、などと勝手に妄想を始め、 他人に食べてもらうならきっと「美味そうに見える」マジックを演出するはずだ、と想像を膨らます。
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飾る美徳と飾らない魅力。
どちらがより良い薬味となるのかは、
結局、本人の味覚によるところが大きいと思うので、
あまり気にしないぐらいの方が、もしかしたら丁度良い塩梅なのかもしれない。
調理のさじ加減など、好き嫌いの始まりの頃には、
持ち合わせてはいなかったはずなのだから。
とにかく、嫌いなものが好きになることは、
大人になるに連れてあまりない出来事だけれども、
どうにか寛容的になることで、そのうち好きになれるのかも知れない。
いまだ、魚介類に空振りの愛を贈りながら
死んだ魚の目は、いつも本当に残酷だと思う。
Writer : Kadpon飾る美徳と飾らない魅力。
どちらがより良い薬味となるのかは、 結局、本人の味覚によるところが大きいと思うので、 あまり気にしないぐらいの方が、もしかしたら丁度良い塩梅なのかもしれない。 調理のさじ加減など、好き嫌いの始まりの頃には、 持ち合わせてはいなかったはずなのだから。
とにかく、嫌いなものが好きになることは、 大人になるに連れてあまりない出来事だけれども、 どうにか寛容的になることで、そのうち好きになれるのかも知れない。
いまだ、魚介類に空振りの愛を贈りながら 死んだ魚の目は、いつも本当に残酷だと思う。
Writer : Kadpon